湯けむりとご馳走
【近況】
今年の秋冬は蒸し物のメニューを増やす計画です。蒸し料理には正直なところ好きというイメージはありませんでした。年齢的にも少し前までは脂っ気のある食事のほうが食べ応えがあると思っていましたし、どうせ外食するならと蒸し料理はまず注文しませんでした。味薄い、量少ない、出てくるの遅いという偏見をながらく持っていたと思います。
特に一時期よくみかけた、せいろに切っただけの野菜を蒸して味噌や何らかのディップをつけて食べるものなんかは、ヘルシーなものを食べたという満足感だけで一体何がうまいんだろうと思っていたくらいです。外食ですすんで注文する蒸し料理といえば、中国料理の蒸し物、点心くらいでした。
厨房としても、時間がかかるうえに大きい蒸し器でコンロの場所が取られるのでなにかと邪魔だったりします。しかしおそらく今年の冬は、団体のお客さんも少なくなりそうなので、ちょっと時間がかかる料理もがんばってみようかなという心境になりました。
実際に作ってみて、おいしさに目覚めた蒸し料理があったというのも理由です。
すりおろした蕪と魚を蒸す「かぶら蒸し」、れんこんの「蓮蒸し」など、レシピを知るまでその存在も知らなかったのですが作ってみるとなかなか忘れられないおいしさで、かねがね自分の店でも出せたらなと思っていたのでした。
どちらもこってり感とは遠く離れた、やさしくしみじみとした味わいです。そのため、玉ねぎやニンニクのようなそそる匂いや、塩気、油のコクが効いた料理と違って、一口でおいしい!と感じてもらうハードルは高いかもしれません。しかしながら、寒い季節にホカホカと温かい一皿を食べるのもまた替えがたい体験ではないかと思うので、寒くなる前に始められるように準備したいところです。
【記憶に残ったお店の味】
1人での食事でラーメン屋に行くことはちょくちょくありますが、あまりラーメンの好みは細かい方ではなくだいたいどこもおいしいと思って食べています。
そんな中で記憶に残っているラーメンを強いて挙げると、勤務地が大阪から東京に変わったばかりのころに住んだ池袋で、会社に借りてもらったマンスリーマンションのすぐ近くにあった「韃靼ラーメン一秀」という店です。
自分のそれまでのラーメン観を大きく覆す一杯でした。丼の7割くらいがクリーム色のつぶつぶした背脂で埋め尽くされています。表面ではなく、丼の中7割です。
つまりスープがほとんどなく、降り積もる白い背脂の下に醤油の色濃いスープが沈んでいます。茹で卵がトッピングされています。ラーメン店で一般的には味付け煮卵だったりすると思うのですが、普通の固茹での卵です。
麺を持ち上げて底に沈んだ濃いスープと背脂をよく混ぜて食べます。醤油の塩気や香りが背脂の甘みでちょうどよい濃さに薄まって、風味がぐっと柔らかくなります。
加水が少なめで粉の風味と歯ごたえがしっかりした麺は味が馴染みやすく、ざっくりかき混ぜている間に全体がちょうどよい味にまとまってきます。
脂と醤油で形作られた骨太の旨みは、野菜やガラといったスープの旨みで食べるラーメンとは違って、塩気の奥から麺の旨みがにじみ出るような印象があり、さらには渋みや苦みの部分が感じられ、それがまたおいしさだと思えます。
引越し先のすぐ近所にあるラーメン屋ということで期待して訪問したものの、最初は戸惑い、上手な食べ方もすぐには分かりませんでした。したがっておいしさもわからないまま食べ終わって正直がっかりしたことを覚えています。
しかし、その後いわゆる普通のラーメンをあちこちで食べて過ごすと、何度もふとそこのラーメンを思い出すのです。いつのまにか、その味の深さにハマってしまっていました。閉店が早いため、仕事を早く終われる日は早足で向かったものです。
東京を離れて引っ越すころに、ちょうどその店も閉店してしまいました。東京にはよくあるタイプのラーメンなのかと思ったらその後もぜんぜんよそで出会うことがなく、たまに思い出しては無性に食べたくなる一杯です。