炊い処ぽんたんのブログ

大阪・肥後橋にある「酒と料理と土鍋ごはん」炊い処ぽんたんの近況と食にまつわる雑記です

魂は一対になって

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【近況】

ある期間だれかに付いて何かを教わるということを、改めて考えていきたいと最近はよく感じます。

 

きちんとした数を調べたわけではありませんが、世の中でたとえば直近一年間で他人に付いて何かを教わる・学ぶという経験をした大人の数などは年々減り続けていて、なんとなく今後はさらに減っていくのではないかと感じています。

 

常にアップデートされた最新の情報や知識を、自分の都合良いタイミングで、いるものといらないものを選択して、1人で学ぶことができる、という仕組みが今はどんどん進んできているので、「学び」を商売にする業界の広報においておそらくいま以上に、特定の人に付いて何かを教わるというのは「たいへんに無駄が多い」と喧伝されるようになると自分は見込んでいます。

 

あえて人に付いて何かを教わるということの意義とは何なのか。

自分が、料理を作るということについて最も教わる機会が多かったのは20年少し前、学生時代の居酒屋のアルバイトに遡ります。

 

そこでは社員や同じアルバイトの先輩達が、特に決められたマニュアルを使うこともなく、それぞれのペースで、その日出勤している新人に、口頭で仕事を教えていました。

 

完成する料理の見た目は同じでも、細かな部分は教わる先輩によってずいぶん言っていることが違っていました。モチベーションをかけられるといったことは全くなく基本的には誰もがすこしめんどくさそうな感じで教える感じの職場でした。それでも、教えた仕事の最低ラインをその新人がクリアしたかどうかは、その先輩だけでなくホールスタッフも含めた店全体がわりと抜け目なくチェックしていたと思います。

 

そんな日々の中でそれぞれに、何となく自分はこの先輩にこれを教わりたいな、またはこの新人にこれを教えたいな、という大袈裟に言えば師匠弟子のような関係が個々に生まれ、何となく仕事が受け継がれて店が回っていたように思います。

 

今の時代ならとことん効率が悪いと指摘されそうなのですが、この空気感が自分とは相性がよかったようで、多くのことを自分なりに進んで調べたり検証したりして身につけた時期でした。

この時期に先輩から得たものは単に情報や知識というより、それらを身につける流れや姿勢であって、考え方やセンスの一部としてその後も自分の仕事を支えてくれていると感じます。

 

効率よく大量の知識を身につけるなら、自分1人で学ぶほうが向いていそうです。しかし、その後何年も仕事を続けるための強い信念や価値観を養うには、効率が悪くても師匠や先輩に付いていくという時間が必要だと思います。そもそも効率を考えるという次元にとどまっていては、いつまで経っても身につかないものがあるのかもしれません。

年齢的に、いつの間にか人から何か教わることはもうないと勝手に思い込んでいましたが、そんなことはなさそうです。これからも人に教わる機会を求めて、身の回りに目を向けることを続けたいと思います。